紆余曲折を経て物理学の道へ(高校生編)
オタクと陰キャと変人の巣窟
この見出しの書き方は怒られるかもしれませんが、僕が高校に入学してしばらく過ごして思ったことです。昼休みクラスの半数が音ゲーを始めタップ音が響く教室。ロッカーを開けるとビッシリと詰まっているライトノベル。少しエッチな二次元美少女クリアファイルを涼しい顔して使う生徒。家を実験室にしてヤバそうな実験をしている生徒もいれば、野宿しながら生物採集する生徒、ハッキングできる生徒もいれば何故かナイフ術や対人戦闘に長けている生徒。もちろん普通(?)な生徒もちゃんといましたが、僕が高校生活で関わってしまった奴らは何故か揃いも揃って癖のある変人でした。まぁ僕も人のことはあまり言えませんが…
極端で面倒な性格
中学から勉強をサボってきた僕が高校の授業についていけるわけもなく、でも必死に追いつこうと中学数学の本から勉強してたりしていました。しかし、自分に合った勉強に仕方がなかなか見つからず、苦悩する日々。結局僕は誰かに『やれ』と言われ受動的にやるときは脳が理解を拒み、自発的に興味を持ったことは深く探求する極端な性格だったので、真面目に勉強は諦めて自分が興味持ってやってみたいと思ったことを存分にやるスタンスに変えました。なので成績は2年生まで最下位から数えた方が早かった程ボロボロ。しかし、その期間に研究活動や社会経験は沢山積むことができたので貴重な経験だったと思います。
研究活動
科学技術科でSSHというほどですから、カリキュラムに研究活動が組み込まれており、僕は同期に誘われて物性系の実験を理論的に調べる研究活動をしていました。簡単に詳細を話すと金属にメッキ処理を行うと何故かゼーベック効果による発電効率が変化したので、その性質を実験的にも理論的にも調べてみよう~という内容です。


東京都立大学の研究室に訪問して教授からアドバイスをもらったり、日本電子株式会社様に試料の精密測定をしていただいたり、他にも幅広く活動していました。国内の研究発表会にも何度か参加し、英会話にも力を入れていたので校内選考で選ばれてシンガポールで研究発表することもできました。



正直今振り返ると実験方法も考察も甘く、高校生の自由研究レベルの成果ではありましたが、非常に良い経験だったと思います。まぁ同時に宿泊先のホテルで黒歴史も作ってしまったので、これは早く記憶から消したいところですが……
社会経験
同期に誘われてとあるバイオテクノロジー系のプロジェクトに参加し、こんな活動をしていました。

これで少し衛星やロケット、CubeSat についても調べていたので航空宇宙関連についても興味が出るようになりました。宇宙空間での環境と細胞の活動における条件等を色々調べて、この企画をマサチューセッツ工科大学(MIT)で発表してくる代表者に選ばれたのですが、当時未成年の僕が一人でアメリカで宿泊して発表する事でプロジェクト側と僕の両親側で揉めてしまい、結局発表は他の人に任せることになりました。飛行機まで取っていたので個人的には MIT 行ってみたかったです。まぁこの一件について僕は自ら責任を取ってプロジェクトを脱退することを決めたのですが、CEOに呼ばれ他の団体との会議に出席したり、交渉方法や策略など様々な大人の世界を教えてもらったので、非常に勉強になり物事を俯瞰して見れるようになりました。TEDxOtemachi での発表に付き合って関係者との交流パーティーに参加したときは 『THE 大人の空間』という感じで新鮮な経験でした。


打算や利益・不利益を計算した上での人付き合いやプロジェクトの為に人を切ったりと、少し汚れた大人の世界を間近で見てきたので結構ストレスもありましたが、活動自体は楽しくできたので良かったです。
こんな感じで勉強は無難にやって積極的に興味ある活動に没頭していたので、良くも悪くも与えられた道を何も考えず歩くのではなく、自分で考えて興味があったら苦しくても自ら道を切り開いて探究するようになって、世界の見え方が大きく変わった転換点だったと思います。結果的に『やりたいことの為に苦手なことでも時間をかけて向き合ってやる』ことができるようになりました。そしてコロナで自宅待機期間であった約4か月で高校3年分の復習と予習を終えて3年生のときに評定4.7、成績も上位20内まで上げて研究活動等の実績もアピールして入りたい研究室がある大学へ推薦入学を果たすことができました。
努力に限界を感じて絶望感と無力感でメンタル崩壊したり、大人の都合に巻き込まれて(知人が刑事事件の被害者になりそうだったので仕方なくですが)退学させられそうになったりと暗い出来事もありました(いつか詳細書くかも)。しかし、個人的には様々な困難を乗り越えて成長を実感できたので早めに砕け散れて良かったと思っています。これが社会人になってからの挫折だと多分立ち直れる猶予がないので…
とりあえず高校生編はこれにて終了です。次回は大学入学前編について書いていこうと思います。
紆余曲折を経て物理学の道へ(小学・中学生編)
アスリートの道で期待されていた過去
僕は幼稚園の頃に水泳、サッカー、小学生の時に野球、卓球、バトミントン、テニス、どの分野でもある程度の成果は残せるほど運動神経がよく、才能を評価されていました。小学校6年生からテニスを本格的にやりたいと思うようになり、中学ではテニス部に所属、スクールにも通い始めて選手育成コースでプロを目指して週7でテニスに没頭する日々。そのおかげでテニス歴4年目でダブルス関東ベスト16と全国一歩手前まで実力を伸ばしテニス強豪高校からお声がけを頂いたりして、周囲の大人や部員達には今後を期待されていました。

そして僕は文科省からSSHに指定され都内に2つしかない科学技術科、当時偏差値64あった超理系特化高校、東京都立多摩科学技術高等学校(通称:タマカギ)に進学しました……!!!
いや、ちょっと待て
誰もが高校はテニス強豪校に行くと思っている中、僕が「物理やりたいんでタマカギに進学希望します~」と周りの人達に伝えたとき、言われた一言目が「いや、ちょっと待て」でした。担任の先生からは「正気か?現実を見ろ」と渋い顔をされ、校長からも「再度よく考えてほしい」と反対されました。
それもそのはず、授業中は安らかに眠り体を休め、放課後に部活、そのあとテニススクールで練習、終わった後は8kmランニングして1時間壁打ちで自主練して22時手前に家に帰るという生活を一時期ほぼ毎日してましたので…… まぁお察しの通り国・数・理・社・英の成績は悪かったです。実技4科目で何とか平均の成績を維持してましたが、筆記試験で入試を突破できる可能性は皆無。なので推薦で受験し、落ちたら理系は諦めて声をかけてくれた高校に行く賭けをしました。
物理に興味を持ったキッカケ
実は昔から家で簡単な実験をするくらいには科学が好きでした。特に中学2年のとき、親から『二重スリット実験』の存在を聞いて量子の世界に興味を持つようになり、図書館で本を見るとこの式が目に入りました。

これを見て僕が思ったことは……「何か記号カッコイイ!!!」です。
この数式が僕たちの目に見えない小さな世界を説明していると知り、記号の意味も分からずとりあえず写経して満足するのが隠れた趣味となっていました。
(※ (1)式:Schrödinger方程式と呼ばれる式で、電子や水素原子などの運動を記述する)
そして進路選択のとき、この記号達の意味を理解してカッコよく計算してみたいという浅い理由で、義務教育の6年間ずっとサボって逃げていた学問の道に進むことにしました。
計算と心理戦を制した推薦受験
僕は小学校のとき虐められ、周りの大人にも助けてもらえなかった経験から、そいつらと『正々堂々真面目に取り組む』というスタンスが大嫌いで、正攻法の裏を探して『姑息に卑屈に陰湿に取り組む』という捻くれた性格をしてました。
その性格から普通に推薦の対策をしていたら合格率が低いことは目に見えていたので、真面目な物理に関して専門知識を上げて最近の科学情報やそれについての『自分の考えや応用可能性の追求』を重点的に練ってプレゼンテーション、集団・個人面接を脳内シミュレーションで何度も練習、議論で使えそうなセリフや表情、間の取り方などを研究して着実に準備を進めていました。
そして推薦受験当日、面接官や他の受験生との話し合いで議論を誘導したりして自分が対策してきたことを存分に発揮し、堂々と振舞ったので試験官と受験生に「こいつめっちゃ優秀な奴なんじゃ?」と内心冷や汗を流しながら騙してきました。
合格発表日、合格者の受験番号が貼り出され喜んだり落胆する受験生達を掻き分け、自分の番号を確認し一言、「計算通り」⇐ (※心の中でガッツポーズしながら飛び跳ねてました)。
ちなみに周囲は落ちると確信していたようで、担任にも親にも最初合格したことを報告しても信じてもらえず少し面倒でした……
まぁそんな訳で魔法適正がないのに魔法学園に入学しちゃいました的なことをしたのですが、僕にチート能力はなく本当に能力ゼロの落ちこぼれだったので、地獄と波乱とワクワクの日々が始まりました……